三井化学東京社友会の皆様こんにちは。
三井サイテックを最後に定年退職してからほぼ6年半が過ぎました。これまで鬼の霍乱のようにたまに風邪を引く程度でこれといった病気もせず、今日まで元気に毎日を過ごしてこられたのは、ひとえに入社以来続けているテニスのお陰と思っています。
むかし女性テニス仲間が集まる会として発足した「OG会」は浜田山コートがなくなってから山中湖での合宿が恒例となりましたが、この4月25、26日に記念すべき25回目の会に参加してきました。その記念誌にも投稿したのですが、正にテニスは我が人生といっても過言ではありません。若いころ自分では意識していませんでしたが、今にして思うとコートで無心にボールを追うことが何よりのストレス解消法だったのでしょう。
現在、ガン・心血管系疾患・肺炎を予防できれば死因の7割から回避できると言われるほど日本人は病んでいます。メタボ検診が「病気を治療する」ことから「病気を予防する」ことへの意識改革を意図することは明らかです。2年半ほど前からテニスを末永く続けるために栄養バランス食品を摂取することにしました。人間の細胞に必要な栄養を医科学的に設計したもので、これを摂り続けることでテニス年齢が若返ったことを実感しています。
つまり私の最大の健康法はストレスを解消する適度の運動とバランスの取れた十分な栄養がキーポイントと言えるでしょう。また、つい最近人間の免疫力は20歳をピークに低下し60歳ではその17%まで低下することを知りました。先の細胞への十分なバランス栄養がその免疫力向上に間接的に寄与していることも期待しているところですが、直接腸管に作用し免疫力を高める自然食品に行き着きました。我が家は家族で愛用を始めたお陰で花粉症にも悩まされずに済みました。健康食品アレルギーの方が多いと思いますが、食の安全が危ぶまれている昨今、「病気を予防する」観点から見直してみるのもいいのではないでしょうか。
参考:OG会投稿原稿
(編集子註:本稿は長文のため一部割愛させていただいております。ご了承ください)
テニスは我が人生
➢はじめに
OG会が今回記念すべき25周年を迎えたことは素晴らしいことだと思う。幹事さん並びに皆さんにお喜びを申し上げます。
➢テニス三昧
私は2002年にMCIを定年退職しフリーの身となった。現役時代は現在の横浜の自宅から週末に大船のコートへ通うのが常であったが、大船もなくなり浜田山が一寸遠いので近くの横浜スポーツマンクラブに入会した。
また月1回浜田山コートで行われていた「さんど会」も欠かせない存在であった。そして茂原時代の独身寮の仲間を中心とした「九十九会」の活動もある。今は春と暮れの2回くらい1泊2日の合宿形式で続けている。この会もOG会同様女性が15名中6名おり、打ち上げは年甲斐もなく飲み放題とカラオケ込みのテニスパックを利用している。さらにもう一つの活動は「横浜三沢公園でのファミリーテニス」である。友が友を呼びいろんな繋がりの夫婦が集い不思議なグループとなっている。
これに年一回のOG会だから、正にリタイヤー後はテニス中心で回っていると言っても過言ではない。
➢レベルアップ
最初テニスを始めたときはこうまで長く続けるとは考えてもいなかった。昭和41年に入社し、当時の千葉工業所に赴任したのが9名だった。当時は房総の片田舎で娯楽と言えば2~3軒の映画館にパチンコ店だけ。全員がテニスラケットを買ったのは必然だったような気がする
板打ちが10回続けばコートでラリーを許されるというので、連日良く汗をながしたものである。当時小西さんという物凄くバックハンドの上手な先輩がいてテニスクラブを引っ張っていた。その後、彼とペアを組み茂原市テニス選手権でダブルス3連覇ができたことはローカル大会とはいえ、優勝することの大変さを知った貴重な経験であった。私の腕前は小西さんに少しオンブするような状態で、かなり緊張の連続だったような気がする。
その茂原に昭和44年中川君が赴任してきた。九州で名を馳せた彼のテニスは鮮烈な印象であった。彼の入部が私のレベル向上に寄与してくれたことは間違いない。
自分のテニスも少しづつ変化してきたと思う。勝負にこだわりせこいテニスになることも多いと思うが、矢張り勝負ごとなので勝ちに徹する気持ちは持ち続けようと思っている。今は専らダブルスなのでパートナー次第でいろんな展開となるが、誰と組んでも兎に角、勝つべく精一杯やることを目指している。
これは若いころ小西さんが常に下手と組んでプレーするのをみて教えられた。自分にハンディを課して頑張ることでレベルの維持向上に努めていたと思う。いろんなレベルの人がいるマイクラブで私はそれを見習って自分を鍛えており、試合運びやサーブを含め遅々としてではあるがまだ進化しているし、体の続く限りこの姿勢を持ち続け進化していくのが目標である。
➢テニス合宿
昭和46年に茂原テニスクラブ始まっていらいの夏合宿を山中湖で行った。以来夏合宿は永々と続けられ、私は連続26回参加し続け誰にも破られない記録をつくっている。
私は生来寡黙な上に大下戸のため合宿の打ち上げでは間が持てないことが多かったが、ある時から子供の余興をやったら大受けとなった。以来それは茂原テニス部合宿の名物となったのには自分ながらに驚いたものである。当時の合宿はカラオケなどもあり、音痴というか満足に歌えるものが無かったので、ミュージック無しにできるものがないかと考えた挙句の苦肉の策だったと思う。今はジャカルタ在任時にカラオケに狂ったお陰でさんど会、九十九会など他の合宿の折にはどうにか人並みに歌えるようになった。
OG会では石橋さんのバイオリンあり、實生さんのピアノありで、50歳や60歳の手習いには驚かされる。脳博士の茂木先生によれば未知への挑戦というか、少しでも今までよりレベルの高いことに挑戦しなければ、脳は活性化しないということからすればお二人だけでなく新しいことに挑戦されている方たちには感心させられる。
➢おわりに
取り止めもないことを思いつくままに書かせてもらったが、テニスは「身体能力」と「頭脳プレー」のスポーツだと誰かが言っていたが、正にその通りかと思う。どこにサーブを打つか、どこにレシーブを返すかなど、そのやりとりを「打ち合う者同士のつながり感」と覚えるときテニスの面白さが増幅される。これからも体をケアーしてできるだけ長くテニスを続けていきたいと思う。このOG会の度に皆さんと交流を深め続けたいものである。