鯛の兜煮
山下 明
本店が霞が関ビルにあった頃の話です。
ビル二階エレベーターホール裏側の回転ドアを通り特許庁側に出るとすぐ前に古い商工会館ビルがあり、このビルの一階には一歩足を踏み入れると奥へ奥へと吸い込まれてゆく床の傾いた食堂がありました。エレベーターホールから僅か徒歩一分という絶好の場所にあり、しかもリーズナブルな値段でお酒を楽しめるこの古い食堂は幅広い年代の飲み仲間の溜まり場所になっていました。夕暮れ時になるとここには仕事を終えた仲間が三々五々と集まり“エイひれ”をつまみに酒宴が始まりました。そして酒が進むにつれ宴も盛り上がり、情報交換あり、相談事あり、口角を飛ばすような議論ありと話題に事欠くことはありませんでした。
ところが残念なことに、この通いなれた食堂のある商工会館ビルが老朽化による立て替えのため閉鎖されることとなり、飲み仲間は大事な溜まり場所を失ってしまいました。
しかし、程なく鼻の利く優秀な仲間は新橋方向に5分ほど行ったところで美味しいお酒が飲める日本酒造会館地下の食堂を見つけ、溜まり場所がここに移りました。この食堂は酒造組合が運営しており、古い食堂に比べ少し高級ではありましたが、つまみをつつきながらリーズナブルな値段で日本の銘酒が楽しめたため、違いの分かる仲間にとっては格好の溜まり場所となりました。
そんなある日のことです。酒宴が終わり勘定をしようとしたところ、金額がそれまでになく高額になっているというハプニングが起きました。普段に比べ飲み過ぎたわけでもないので計算違いだろうと思い伝票を調べてみると、そうではなく、つまみに二皿注文した“鯛の兜煮”が原因であることが分かりました。そう、縁起物でもある“鯛の兜煮”は高級料理で、お品書きには高級料理の証“時価”と書かれており、その日が特に高価な日だったのです。
それから数十年経ち令和になると時代も変わり、家庭では手間のかかる魚料理が敬遠されがちになりました。これに新型コロナ肺炎の流行が加わり、居酒屋の顧客が大幅に減り、高級魚の需要が激減してしまいました。このため、鯛の価格も下がり、調理に手間のかかる鯛の兜煮の材料であるお頭は、近くの駅ビルで評判の魚屋でも隅っこにある特売コーナーで安く売られるようになってしまいました。
居酒屋で飲む機会もなくなり漫然とした家飲みが続く中、ふと酒造会館地下食堂の酒宴を思い出し、無性に鯛の兜煮が食べてみたくなりました。そこで一念発起し鯛の兜煮作りに挑戦してみることにしました。
早速翌日に妻の買い物のお供をして魚屋で立派な鯛のお頭を仕入れ、夕食の準備の邪魔にならない早めの時間から調理を始めました。挑戦してみると面白いものでお頭に塩を振ってから一時間足らず、調理を始めてから三十分足らずの時間で思いのほか上手に鯛の兜煮を作ることが出来ました。
妻が作ったおかずの隣に鯛の兜煮が並び夕食が始まるとお酒が飲めない妻から“美味しいね”という労いの言葉も貰い、昔懐かしい飲み仲間の顔を思い浮かべながら日本酒の杯を重ねました。
社友会の皆さん、一度高級な“鯛の兜煮”に挑戦してみませんか?
【鯛の兜煮の作り方】
社友会への投稿には似つかわしくないかも知れませんが、挑戦して頂くため料理のレシピ本風に書いてみたいと思います。 手順は以下の通りです。
① |
鯛のお頭に軽く塩を振り20~30分放置します。 |
② |
70~80℃位のたっぷりのお湯の中にお頭を入れ3~5分湯引きをします。身が白くなり始めた頃がお湯から取り出す頃合いです。湯引きをすると生臭さが少なくなります。
(注意1、お湯は沸騰水ではありません) |
③ |
湯引きしたお頭を取り出し冷水で冷やし、冷水又は流水中で、指先で丁寧に鱗と血合いを取り除きます。
(注意2、購入したお頭にアラが付いている場合も同様に湯引きします。アラに付いている背びれは固く先が尖っていますので突き刺さらないよう注意してください。) |
④ |
鱗と血合いを除いたお頭をまな板の上に取り出し、キッチンペーパーで水分をふき取りながらもう一度鱗が残っていないかどうか確認します。 |
⑤ |
容量で日本酒又は料理酒2~3、みりん1、砂糖0.3~0.5(男性用と薄口しょうゆを使用する場合には砂糖は少なめ、女性用には多め)の割合でお頭が3分の2位浸かる位の量の煮汁を作ります。 |
⑥ |
煮汁を鍋に注ぎ、
鯛のお頭の皮側を上にして入れ、
ショウガ、ネギ等の薬味を加え、
落し蓋(アルミ箔、クッキングシートで代用可)をして4~5分煮込みます。
鍋の蓋をするより落し蓋の方が、生臭さが少なくなります。
(注意3、煮始めると身が崩れしやすくなりますので、途中で鍋の中の身を動かす場合は、鍋を揺する方が崩れにくくなります。) |
⑦ |
醤油を好みの味になるまで加え、落し蓋をして更に4~5分煮ます。
関西育ちの方は薄口しょうゆを使いやや薄めの味付けをすると口に合うと思います。又、薄口しょうゆでやや薄めの味付けにすると鯛の身の美味しさが良くわかります。
時々落し蓋を取り煮汁をお頭の上からかけると全体がきれいな色に仕上がります。
(注意4,煮すぎると身が固くなりますので煮すぎないようにします。) |
⑧ |
荷崩れに注意しながらお好みのお皿に盛りつけます。 |
⑨ |
煮汁を半分程度まで煮詰め、お頭の上からかけると出来上がりです。 |
お頭は小さすぎると身が少ないですので少し大き目が良いと思います。
木の芽の時期であれば、これを上に載せれば一流料理になります。
鯛は桜鯛、桜の咲くころが一番おいしい時期ですが、今時は冷やした大吟醸酒を飲みながら味わってみるのも乙なものです。