マイクッキング ~ある単身赴任者の回想
ペンネーム 月賀カワル
大慈彌氏の「マイクッキング」が“現役時代の亭主関白の償い”であるならば、私の「マイクッキング」は“家族との絆の再生”である。
入社し結婚して以来、その半分以上の年月を単身赴任で過ごしてきた。ただでさえ疎遠になりがちな父と娘たちに、距離の壁がさらに追い打ちをかけた。なんとか、自然な会話を家庭内で復活できないものか・・・そんなある金曜日、単身先から自宅に帰ると、テーブルの上に一冊の本が置かれていた。「北京小麦粉料理」、ウーウェンさん執筆の料理本である。なるほど、この手があった。
もともと、料理は全く不得手であった。アパートでの独身生活のころ、生煮えの手作りハンバーグで腹を下して以来、恐れをなした。学生時代の6年間は、すべて学食と大衆食堂である。入社後も社員寮の仕組みが整っており、自ら食事を作る必要は全くなかった。
思えば、会社の同僚や先輩には多くの料理上手がおられた。
週末のテニスの後に、気の利いた酒の肴を用意されていたI木氏。決まってH森氏の転用寮にテニス仲間とともに酒を持ち寄って、H森氏の魅惑のギター弾き語りと、I木氏の手料理を堪能した。
仕事に行き詰ったとき、U杉氏の転用寮にキーボードを持ち込んだ。気分転換の大合唱の合間に、U杉氏は手早く夜食を並べた。その手際の良さと凝った味付けは、とても自分にまねのできるものではなかった。
テーブルの上の一冊の本は、家内が用意してくれたものである。なるほどこれを使えば娘たちとの会話を復活できる、そう思った。
本に紹介されたレシピを、手当たり次第に土曜の食卓に並べた。ジャージャー麺や、餃子、シュウマイといった定番を始めとして、デザート風のチェンツォンカオ、肉そぼろを包んだ空心餅など、毎週末は小麦粉との格闘が続いた。
特に好評を博したのはパオス(肉まん)である。薄力粉にイースト菌を混ぜ、こねあげて発酵させる。豚肉とねぎのぶつ切りのシンプルな肉餡を包んで、竹の蒸し器で15分。手作りの皮の食感がとてもおいしい。しかし包み方にコツがあるらしく、蒸している間に肉汁が漏れて皮が水浸しになってしまったり、隣のパオスとくっついてしまったりと、毎回失敗作ができてしまう。
そんな失敗作がテーブルに乗るにつけ娘たちも興味を示し始め、調理台に並んで餡の包み方を工夫しあうようになった。蒸しあがったパオスをテーブルに並べ、紹興酒を酌み交わしながらその出来栄えや包み方のコツを談笑するうちに、自然な会話が交わされるようになっていた。
そののち、娘たちは私の単身赴任先を泊りがけで訪れるなど、仲のいい親子が復活した。すべては家内の的確な気配りのおかげと、大変感謝している。
以来25年余り、娘たちは結婚して遠くに住んでいる。しかし、今も週末は“お父さんの手料理”ならぬ“夫の手料理”の日である。レパートリーも徐々に広がり、最近ではイワシやアジといった懐にやさしい近海魚が頻繁に食卓に上る。
近々下の娘が孫たちを連れて帰省する。前回大慈彌氏が書いておられた「ミラノ風カツレツ」を、自分流にアレンジしてふるまってやろうか。