テニスと私
武田計測先端知財団
専務理事 大戸範雄
吉田浩二氏の寄稿文「テニスこそ我が人生」の中に、「テニスが私を離れなかったというより、私がテニスを離さなかった」という個所がある。それを読んでいて、1920年代のパリでの知人との交流を綴ったヘミングウェイのエッセイ、「移動祝祭日(A Movable Feast)」を思い出した。「移動祝祭日」には、「もし君が、幸運にも若いころパリに住んだことがあるなら、君がどこに行こうとパリは一緒についてくるだろう。何故ならパリは移動祝祭日だから」という前文がある。
テニスが大好きだった溝江さんは、病気で死期が迫っていた2016年の春、息子さんに連れられて仲間のテニスを見に来られたことがある。青空の下でプレーする仲間ともう一度同じ空間にいたかったのだと思う。剱持さんは、東圧と石化が合併した当時、常務取締役として幾つかの部を管掌され、私のいた部署と同じフロアにおられた。私は、2001年に公益法人活動に転身したが、2008年に再び三井化学のテニスのOB会でプレイするようになり、剱持さんとテニスコートで再会することができた。テニスコートでは老練、アフターテニスでは洒脱だった剱持さんはこの一月に他界された。
移動祝祭日とは、復活祭のような年によって日付が異なるキリスト教の祝日のことを言うが、ヘミングウェイは、どこにいてもついてくるもの、また、そこに戻りたくなるもの、という意味で使っている。それは、父母や故郷のような所与のものではなく、青春時代に自ら関与し、貴重な体験をしたが故に、その後の人生で幾度なく思い出し、また、戻りたくなる物事や場所のことである。テニスもまた移動祝祭日ではあるまいか。吉田さんの寄稿文を読みながら、そう思った。
~~氏はテニスを通じて多くの方々と親交を深められました。全文は、PDFファイルをご覧ください~~