私とテニス・思いつくままに
1972年入社 小野寺 欽一
恩師との出会い
参加者のある方の「ええ、今日はテニス愛好家の集いだとばかり思っていまして…」との挨拶があったのは、それまで居酒屋等で細々と続けていた「母里さんを囲む会(不定期懇親会)」の拡大版を8年前(2014)に私が幹事の一人として千葉市内のホテルで開催した席上だった。
思えば、私がテニスを始めたのは入社時に配属となった岩国・技開で上司だった母里課長の奨めがきっかけだった。部下として仕事でご指導いただいたのはたった4年間だったが、振り返ってみるとテニスを通じてのお付き合いが50年も続いている。徳山市営コートでの紅白ビフテキマッチを始め、千葉(現市原)工場に転勤した際には浜田山のコートで歓迎テニス会を開いて頂き、夫婦で参加した事が懐かしく思い出される。その後もグアム島での灼熱合宿やエアロビクスセンターでのコテージお泊りテニス、正月には我が家宿泊で有秋台東のコートで手合わせを頂く等々、夫婦でお世話になったテニスの恩人である。
~~以下、利き腕のけがを乗り越え、テニス部長拝命、全工場テニス部交流会、社宅テニス、白子テニススクールと話題が広がります。全文はPDFファイルをご覧ください~~