― 序 ―
◆本日は社友会会員の内田さんに、アマチュア無線
(HAM)の愉しみについてお話を伺います。
内田さんよろしくお願いします。
内田) |
こちらこそ、機会を頂き光栄です。よろしくお願いします |
◆内田さんがHAMを始めたのはずいぶん若い頃と
伺いましたが。
内田) |
私は高校卒業まで北海道上砂川町に住んでおりまして、高校1年生の時にHAMの国家資格をとって開局しました。当時の機材は、親の脛齧りですが、トリオ社(現Kenwood)のTX-88D&9R-59Dのラインナップでした。 |
◆すごいな、当時の垂涎の的ですよ、そのシステム。
内田) |
その後三井石油化学に入社して当時の千葉工場工務部電気課に勤務しましたが、クラブ局開設後は転勤もあってHAMの仲間・活動はあまり広がらず、しばらく遠ざかっていたのですが、最近になってまた再開しました。 |
◆再開されたのは思う所がおありだったのでしょうね。
HAMは世界中の同好の人たちと繋がれると
聞きますが、実際どんなことをされているんですか?
内田) |
今は、PCとディジタルが融合した機材で日本国内はもとより世界中のHAMと容易に交信ができます。またシミュレーションが自分のPCで容易に実行できるので、アンテナの設計も楽しく夢想出来たりします。そんな具合でいろいろと刺激をもらえます。 |
◆なるほど、コミュニケーションの手段としても魅力的ですね。
内田) |
そうなんですよ、ライセンスをとって参加されてはいかがですか。最近は振興協会による講習や、e-learning(なんと!)もありますので、敷居は随分低くなったと思います。特にモールス信号の実技試験が廃止になったので上級ライセンスも狙えますよ (かく言う小生もモールス不得手上級組(^-^; |
1. 現況 「私をスキーに...」
先月テレビで「私をスキーに連れてって」が放映されていました。ご覧になった諸兄も多いかと思います。80年代後半の若者文化のトレンドが盛り込まれていますが、セリカGT4の爆走とともにHAMのトランシーバも活躍していました。この映画に触発されてHAM資格を取得した若者も多く、その後のHAMブームの火付け役だったそうです。
携帯電話や自動車電話がまだ一般的でなかった時代(自動車電話の全国サービスは1984年から開始)、HAMのハンディ機は最先端の連絡ツールだったのでしょう。 |
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平成7(1995)年3月の時点で「国内アマチュア無線局数」は136万局のピークを迎えました。しかし同年以降は、携帯電話やインターネットの普及などにより局数の大幅減少が始まり、アマチュア無線連盟の会員数も多いときは年間で1割以上減少し、10年足らずで半減しました。
こうした凋落の傾向にも最近ようやく歯止めがかかり、昨年は改善の兆しがみられるとのことです。 コロナ禍のステイホーム指向と相まって、過去現役バリバリであった世代のカムバックが増加したのではないかと思います。
小生もまさにその一員ですので、これから起こるHAM-worldの進化と広がりを大いに楽しもうと考えております。 (次回に続く)
<小生の交信証>
交信証(QSLカード)は交信相手と交換する習わしです。 小生は近場のサッカー練習場を背景にしてみました。 東京オリンピックにあやかりましたが、そろそろ更新しなくては...
