赤城山は妙義山、榛名山とともに上毛三山と呼ばれ、「日本百名山」や「花の百名山」にも取り上げられている有名な山である。
江戸時代に国定忠治が立てこもって「赤城の山も今宵限りか」という名せりふが残されたり、幕末には小栗上野介の幕府再興の御蔵金埋蔵伝説など話題に事欠かない。
6月中旬、関越自動車道を北上すると、行く手の左に榛名山、右に赤城山が並び立つのが眺められる。群馬県の上毛カルタに「裾野は長し赤城山」とあるように裾野が長く、前橋市内から緩やかな車道を延々と上っていった。
小沼駐車場から地蔵岳に向かって木製の急な階段が伸びている。地蔵岳頂上(1674m)には、その名のようにお地蔵さんが石碑とともに並び置かれていた。眼下には火口湖の大沼と小沼。その向こうに赤城の外輪山が連なり、大沼の傍らに赤城の最高峰・黒檜山(1828m)が聳え立っている。
赤城山は日光の男体山とともに火山である。古い伝説に男体山と赤城山はかって中禅寺湖を争って戦場ヶ原で戦い、勝った男体山が中禅寺湖を従えているそうだ。戦いに負けた赤城山は小さな大沼と小沼を得たということだろうか。
山では里より遅れて春がやってくる。6月中旬の赤城山はツツジが美しいことで知られ、小沼周辺にミツバツツジ、小沼からおとぎの森にかけての遊歩道にはシロヤシオ、ヤマツツジなどが真っ盛り。里の園芸種のツツジほど派手さはないが、どれも高さ4、5メートル、見上げるような大木である。
皇室の女性は持ち物に花の絵柄を御印として付けられる。シロヤシオツツジは天皇陛下の長女愛子様の御印の花、花言葉は「愛の喜び、情熱、節制」など様々なイメージがある。山好きな天皇がこの花の姿から選ばれたのだろう。
おとぎの森の広場は新緑に取り囲まれて広々とした空間がある。そこに赤い山ツツジガが点在して彩を添えている。山ツツジの花言葉は「燃える思い」。文字通りおとぎの国に迷い込んだような、不思議な感じがするスポットだった。
森のあちこちで鳥の鳴き声に混じって「ゲロゲロ」という鳴き声が聞こえてくる。以前、春の甲武信岳に登った時にこれを聞いて、“かえる”が鳴いていると思ったが、よく知っている人から“春セミ”の声だと教えてもらっていた。
その姿をこれまで見たことはなかったが、この森でセミの抜け殻と抜け出たばかりでまだ飛べない“春セミ”の姿を見ることができた。その正体は声の割に小さな体なのが意外だった。