40年も前から始まった伝統の「白子テニススクール」
-今年も盛会でした-
多分三井化学関係のテニス同好会で「白子テニススクール」程古くから続くテニス合宿は他にないと確信します。あれば教えてください。「白子テニススクール」は既に過去3回(2009年5月、2010年5月、2011年5月)この東京社友会のHPに紹介しましたが、このテニス合宿はありきたりとは違う少し変わったテニス合宿であることを更に知っていただくため、「白子テニススクール」の歴史を紹介したく敢えてペンを取りました。
私上野が昭和51年(1976年)に旧三井石油化学の東京本店に転勤してから、浜田山に行ってテニスをしましたが、当時の浜田山は非常に厳しい壁がありました。Aクラス、Bクラス等腕前の壁です。うまくないとテニス仲間に入れてもらえません。「お前のテニスは会社の底辺にも入れないレベルだ」と言われ、それでもなんとかCクラスの仲間に入れてもらって恐縮しながらテニスを静かに楽しんでいました。そんな時に今は故人となられた鬼武敏彦さんが登場します。旧三井石油化学の方々は、とてもユニークで楽しいエピソードが豊富な鬼武さんをご存知でしょう(写真1)。
 |
(写真1)左端が鬼武さん(1984.10於清里セドナ) |
鬼武さんはテニスを始めようとしてラケットを買って浜田山に行きましたが「テニスをしたかったが、みんなうま過ぎてテニスに入れてもらえなかった」とさみしそうに語っていました。それを聞いた心優しい一部のテニス上級者数人が、テニスの上手な人も初心者も一緒になってテニスを楽しむ機会があっていいではないかということで、当時千葉県白子にあった三井白子荘に1泊2日で合宿を開くことにしたのが「白子テニススクール」の始まりです。昭和53年(1978年)頃のことです。以来毎年春白子で、それに加えて時には秋に那須、菅平や清里等々の各地に遠征して開催しました。
この趣旨に賛同した若い女性十数人、男性十数人のおよそ30人位が毎年テニスの上手下手関係なく参加、テニスの上手な方は初心者や上達途上の人たちにボール出し等しながら無報酬で教えてあげるという、なんと崇高美あふれる心温まる光景ではないですか。そして夕食時はテニス談義などをし、その後夜の白子の海岸をみんなで散歩します。ほんのり明るい星月夜、男女30名近くが太平洋の波の音を聞きつつ将来の夢を語らいながら白子海岸九十九里浜の砂の上を歩く、当時私は30代半ばでしたが、なんともロマンチックな光景で、今も思い出します。翌朝は6時から早朝練習です。5時半に鬼武さんが各部屋のドアをノックして回って「やるぞ起きろ!」と言って全員を起こしていました。楽しいこともあり、また厳しいテニスのレッスン、練習もしっかりやって、まさにテニススクールです。
 |
(写真2)2019年参加者の雄姿、皆若いです |
|
 |
(写真3)テニスの後ビールで乾杯、至福の時 |
翌日早朝練習してから朝食後午前中いっぱい仕上げのテニスゲーム等で成果を確認します。最後は温泉に入って昼食後解散しました。終わった後は確かな手応えと、これでうまくなったという確信を得、参加してよかったと満足感でいっぱいになります。
この合宿はこれからも永遠に続きます。少なくとも今後30年は私上野が幹事する積りでいます。東京社友会の皆さん、テニスを愛好される方ならどなたでも大歓迎です。毎年4月第三日、月曜の1泊2日で開催していますので是非参加してみてください。初めて参加する方は東京社友会に問い合わせれば参加方法がわかる筈です。お待ちしています。