I.中国人の今日この頃
1.すれ違う両国民の思い(1月10日掲載)
2.中国との印象的な出会い(1月26日掲載)
3.住宅事情あれこれ (3月9日掲載)
4.お国変わればやり方、考え方も違う(5月 8日掲載)
5.ある水墨画家との出会い(6月22日掲載)
6.魅力あふれる観光地と歴史的遺産(8月24日掲載)
II.政治と経済のあれこれ
第一章では中国の庶民生活を中心に書いてきましたが、ここ第二章では少し難しい政治・経済方面を軟らかめにお話してみたいと思います。
1. この国の思いと指導者の思いと(11月27日掲載)
2. この国はどこへ向かうのか
曽て鄧小平は国民に向かって二つの有名な言葉を残しました。一つは、良く知られている“黒猫でも白猫でも鼠を捕るのは良い猫だ”と国民に訴えて、金儲け(先に富む)を奨励しました。確かにこの言葉が改革開放を推し進め、経済発展の原動力になりました。しかし、このことは共産党政治に口出ししなければ金儲けで何をしても良いという拝金主義の風潮を生みました。全人代で代表されるように、政治は共産党に任せておけ。その代り経済活動では庶民は自由に稼げということでした。
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写真1)昨年新しい陣容で望んだ全人代 |
改革開放以来、“向前看”が“向銭看”と発音が同じため、もじられて人々は金へ金へと走りだしました。そもそも“向前看”とは前に向かって進めと言う意味で建国以来のスローガンでした。しかし全く同じ発音で“向銭看”(金儲けに進め)に走りました。このことが賄賂などの不正や腐敗の温床に繋がり中国の深刻な社会問題に発展しました。結果として貧富の格差は現在トップ1%の国民が、国全体の富の45%を占めるという先進国では考えられない異常な状態を生んでいます。
もう一つ鄧小平には“韬光养晦(タオグアンヤンフイ)”という言葉があります。意味としては実力が備わるまでは目立たないように謙虚に振舞えと国民に戒めたのでした。確かに1990年の初期までは中国は今の様な発展ぶりは想像もつかない状況で、日本にそして欧米に謙虚に学ぶという姿勢でした。しかし最近では目立たないどころか、国際的な舞台では中国参加なしではその意義が問われるぐらい存在感を増してきています。もう“韬光养晦”の時代が終わり“世界をリードせよ”前面に出しゃばれと言った時代に突入しているようです。
出しゃばった結果、最近は覇権争いを招き米中貿易戦争に至ったともいえます。もはや“韬光养晦”時代を卒業して、中国が世界に羽ばたく様子は国としても個人としても目立ってきています。中でも中国人留学生の数の多さが際立っています。我が復旦大学の学生は優秀なこともありかなりの割合で欧米に留学します。エリートや金持ちになるには留学は一つの有効手段と考えられています。毎年40万人近くが留学し、留学を終えた30万人以上が帰国します。
累積の留学経験者が既に500万人を超えているようです。現在のアメリカでの留学生の割合では中国が一位で33%を占め、日本はその僅か20分の1で情けない限りです。中国人学生は優秀ですが、日本の10倍以上の人口から競争が激しく、小学校から勝ち抜くため猛勉強漬けでかわいそうです。一流大学は大概全寮制で授業以外はひたすら勉強です。図書館は深夜まで煌々と明かりがついています。勿論クラブ活動やデート、アルバイトは考えられません。これも将来の幸福を得るための我慢です。
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写真2)図書館でも猛勉強する復旦大学の学生達 |
中国政府も最初の頃は留学生に対して警戒感を持っていました。一つは海外の民主主義にかぶれて帰国すること。もう一つは自由な海外暮らしが良いと感じ行き切りになって、人材流失に繋がることでした。当初はそうした懸念は当たっていましたが、この10年ほどを見ると民主主義社会の欧米、日本は必ずしも素晴らしい社会と言えない現場を見た80%以上の中国人留学生は卒業後帰国しています。こうした学生を海亀が生まれた海岸に戻ることに引っ掛けて海亀・海帰(ハイグイ)と呼んでいます。最近の米中対立を反映して、高度技術での競合の観点から米国は中国人留学生の受け入れ制限する動きに出ています。
留学する若者がより高度な技術やノウハウを習得するのはいいことですが、一方で質の高い中国社会造りにも貢献して欲しいものです。例えば、社会道徳を身に着けるとか知財権を守るなどです。金儲けで成功した人の中には、生涯金儲けだけの価値観で生きても精神面が満たされない人々も増えています。仏教や論語を勉強し始めたり、極端な場合は仕事を辞めて仏門に入る人もいます。今の中国人が金儲けに走ると言う光の部分と金儲けでは精神的支柱は得られないと言う陰の部分を有しており、これをどうバランス取るか中国の抱える新しい難題とも言えます。