2015年1月に65歳で退職してから、もうすぐ4年になる。退職してから、自分の知っていることを少しでも世の中に伝えていこうと思っていた。
退職の数年前から、日本化学工業協会や石油化学工業協会などで自分の知っている知識を伝える機会があった。安全工学会でも、ある講座で人材育成や安全について講演する機会を設けてもらった。
そんな折、ある人材育成組織から知っていることを講義して欲しいという依頼を受けた。倉敷にある、人材育成組織だ。年に数回の講義だが、自分の知っていることを多くの人に伝えることに喜びを覚え始めた。企業に勤めていたときは、社外の人に技術を伝えるという機会はほとんど無かったが、60数年生きてきて知識として身に付いたことが世の中の役に立つことがわかってきた。
退職した年の年末に、人に技術を伝える活動を本格的に始めようと自分のホームページを立ち上げた。 (半田のホームページ http://handa.jpn.org/1/ )
ホームページには、ブログも一緒に立ち上げた。自分の知っていることを伝えたいと思い、ブログとして情報発信することを始めた。講義後に、生徒達が色々質問してきたことの回答を書いて情報を発信するようにした。私にとっては当たり前のことでも、経験の少ない若い人達には有効な情報をできるだけ綴るようにした。
そのうちに、色々な企業からも声がかかり直接出向いて講義をしたり、講演をするようになった。それでも、私の知っていることを伝えられるのは年間数百人程度だ。
もっと多くの人に、情報を伝えようと思っていたら、講義している内容を本に取り込みたいという要望があった。石油化学工業協会、日本化学工業協会や石油連盟などの共催で行われている産業安全塾という講義での内容だ。「事故事例の学び方」というテーマで、化学工業日報社が発行した「産業安全論」という本の中に執筆をさせてもらった。口でしゃべるのは簡単だが、いざ活字にすると大変だと感じたのはこの時だった。
そんな折、1~2年ほど前から専門誌から執筆依頼があった。最初の依頼は、雑誌「計装」という出版社だ。私は、会社に入った時は千葉工場(現市原工場)の「計装課」という部署に配属された。そこで、十数年計装設計や保全技術を学んだ。当時は、計器盤でまだアナログの世界だった。その後、DCSやコンピュターが数多く導入されデジタル文明へと進化していった。
おかげで、アナログとデジタルの両方を経験させてもらった。入社した当時の1970年代は、計器の信頼性も低かったので多くのトラブル事例を経験した。
雑誌社からの依頼はこうだ。今時の若い計装エンジニアーは、トラブルの体験を持つチャンスが少ない。機械の信頼性も上がりトラブルそのものを経験できなくなってしまった。さらに、分業化により自ら手を下して現場にある計器を修理したりすることも無くなってきている。計装メンテ会社に発注するだけで、自ら「計装実務」を経験できなってきているという状況なのだという。
流量計、液面計、圧力計など計器で過去に起こったトラブル事例を執筆して、若い人に伝えて欲しいという依頼だった。私にとっては望むところであり二つ返事で引き受けた。計装関係で私が知っていることを、2017年1月から一年間にわたって毎月執筆させてもらった。
2017年の後半を過ぎた頃、安全工学会から「管理」という切り口で学会誌「安全工学」に執筆して欲しいとの依頼を受けた。設計管理、安全性評価、運転管理など6つの切り口で執筆した。「事故の背景に存在する管理面の教訓(7分類)」というシリーズ執筆だった。 倉敷や千葉の人材育成組織で講義しているリスクマネージメント講座の内容から、教訓を紹介する内容だ。隔月ではあったが、2018年の中頃までに約1年間執筆させてもらった。
その後、雑誌計装から特集号を出すから、安全に関する特別寄稿を頼まれたりもした。
「安全を作り込む"~過去の事故・災害から見えてきた工場安全のあり方」というタイトルで、計装的な観点で安全管理のあり方を書かせてもらった。
2018年10月号としてつい最近発行されている。
今年最後の執筆原稿の校正を今行っている。安全工学便覧向けの執筆だ。10年ぶりに、コロナ社から「安全工学便覧」の新版を出すという。今回、人材育成という項目も取り入れたいとの要望を受け技術研修センター長時代に思っていたことを書き上げてみた。そうそうたるメンバーの人が執筆しているので、出版までに時間がかかっているようだ。それでも、来年には発行したいと出版社は言っている。発行が楽しみだ。
執筆したい内容は沢山あるのだが、講演や講義などに全国を出歩いていると、なかなかまとまった時間がとれない。考えついたことをこつこつと、ブログ(http://handa.jpn.org/1/blog.html)に書きながら今後の執筆構想を練り上げていきたい。
いつまでできるのかはわからないが、人に技術をこれからもこつこつと伝えていきたい。