I.中国人の今日この頃
1.すれ違う両国民の思い(1月10日掲載)
2.中国との印象的な出会い(1月26日掲載)
3.住宅事情あれこれ (3月9日掲載)
4.お国変わればやり方、考え方も違う(5月 8日掲載)
5.ある水墨画家との出会い(6月22日掲載)
6.魅力あふれる観光地と歴史的遺産
本連載投稿の冒頭に、訪日中国人旅行客が激増している一方で、日本人の訪中旅行者の減少が目立っていることに触れました。このことが相手国に対する好感度の変化の差に影響していることも確かでしょう。勿論日本人の思いとして、最近世界で目立ちだしている中国と中国人に対して、何かと内向きになってしまっている日本人にはどうも肌合いが違うという違和感があるかもしれません。
また更に中国の国力が増すにつれ軍事力を強化したり、民主化やネット管理で議論を呼んだりで日本人には中国社会が窮屈で親しめない国に写っているのでしょう。従って、余り行ってみたい気にならない国になっていると思われます。
そこで観光大使ではありませんが、中国の良い所を少しここでご紹介して皆さんに少しでも行く気になってもらいたいと思います。中国は国土が広いだけあって56を有する多民族国家で、50近くの世界遺産数を誇りこれはアジアで一位です。
私も中国に長くかかわっている関係で、大都会はもとより観光地も沢山行きました。例えば、順不同で挙げますと黄山、桂林、昆明石林、敦煌、西安、九寨溝、成都、漓江、海南島、万里の長城、内モンゴルなどです。歴史遺産と自然遺産が混在していますが、歴史的な場所から見ますと何と言ってもお勧めは西安でしょう。
古くは長安の都として栄えた街で、紀元前220年頃中国を統一した秦の始皇帝の遺産の兵馬俑で有名です。2千年以上の歴史を感じつつ、今でも生きているように見える兵士の迫力に圧倒されます。付近には楊貴妃が入ったと言われる温泉の隣に今でも観光客が入れる温泉があります。
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写真1.迫力溢れる兵馬俑 |
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写真2.延々と続く万里の長城 |
もう一つ、歴史的にも日本人にもその名を知られた敦煌があります。紀元前から栄えていた町で、西方のシルクロードにも関わった要衝でした。日本人には井上靖の小説で有名です。漢詩で有名な王維が更に西に向かう友人を陽関で送別した時の詩“西の方陽関を出れば故人(友人)なからん”で知られる陽関は敦煌のすぐ近くです。敦煌にしても陽関にしても砂漠の中のオアシスで水の源流は遠く天山山脈のようです。この敦煌は数万人の町で観光客は年間100万人以上です。砂漠は広々と広がり空はどこまでも青く、夜は満天の星を仰ぎ流れ星が良く見えます。これがPM2.5の酷い上海や北京などと同じ国かと見まがう程です。
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写真3.敦煌の砂漠でラクダに揺られて |
桂林では川下りの船に乗り甲板でスッケチをしていたら人だかりができたのはチョットした画家気分でした。異様に突出した山々が連なり如何にも水墨画の聖地に来たような感じで、つい筆を手にしたくなってしまいました。船上でのぬるいビールと拙い食事は褒められませんが。
2006年には反日デモの直後で日中関係が良くなかった中、橋本竜太郎(元首相)(当時は日中友好協会会長)ミッションに参加し、北京の人民大会堂で当時No4の贾慶林常務委員に面会しましたが、橋本氏の人望のためか好意的で悪い印象を受けませんでした。この時の4月の北京では黄砂が酷く、道路にも車にも赤っぽい砂が数センチ積もっていたのには橋本氏もビックリでした。その後は安徽省のお役人のトップに表敬訪問し、地元の雲海で有名な黄山に登りました。彼は写真を撮りまくっていたのでお聞きすると一番好きな趣味が写真撮影とのこと。なかなか気さくな人柄が思い出されます。
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写真4 黄山の古い町で橋本氏と一緒に |
こうして中国各地の自然遺産や歴史的遺産に触れると、いにしえの遠き時代に思いをはせ日中関係はまだ始まっていなかったり、はるばる苦労して中国に勉強に来た日本の僧侶のことを思ったりしました。歴史の原点に返って両国がもっと仲良くなって欲しいと、敦煌の満天の星に願ったりしました。