I.中国人の今日この頃
1.すれ違う両国民の思い(1月10日掲載)
2.中国との印象的な出会い(1月26日掲載)
3.住宅事情あれこれ (3月9日掲載)
4.お国変わればやり方、考え方も違う(5月 8日掲載)
5.ある水墨画家との出会い
私が上海に転勤してから、仕事以外では唯一果たさなければならない事がありました。それは私の上海赴任直前まで上海大学美術学院に4年近く留学していた姪に頼まれて、彼女の水墨画の恩師に会うことでした。油絵は多少やっていましたが、水墨画は全く未経験でしたが取りあえず会うだけは会ってみることにしました。日本食屋で会食しながらお会いすると、お名前は王文傑と言う方で、教授にしてはとても謙虚で流暢な日本語で水墨画の話をされていました。それもそのはず、上野の芸大でも水墨画を教えていたことが有るそうです。結局その人柄に魅かれて定期的に今日に至るまで水墨画を勉強することになりました。勉強しようと決めたもう一つの理由は、中国の文化を知る上でも水墨画の中にその精神の一端を伺えるのではと思ったからです。
王先生の話によりますと、上海人の彼は中学時代から画家を目指して絵の勉強をしていましたが、高校時代に文革で下放されて絵の勉強どころでなく、安徽省の農村で働くことになり辛い思いをしたようです。
興味深いエピソードとして、2010年の上海万博のVIP館を飾る作品を中国政府が募集した時でした。結果的に彼の応募した7点の大作が全て採用されたことからもその実力を窺い知れます。彼が遠慮がちに曰く、最初は4点の作品しか採用にならなかったが、最終的に政府の評価委員がチェックに来て倉庫に眠っていた彼の3点の作品が追加合格になったとのことでした。当時の胡錦濤主席が開館前に視察に来館された際、彼の大作の前で数十秒立ち止まって見つめていたとのことです。とても異例のことだそうです。
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写真1.胡錦濤主席が立ち止まって見たVIP館の絵 |
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写真2.王先生とアトリエにて |
中国では袖の下とゴマすりが横行していて、芸術の世界もその例外ではないようで実力はそれ程なくても旨くやって出世することはままあるようです。このケースは良心が勝ったケースですが。彼の謙虚さと真面目さはその生活にも表れています。住居は上海市内の7階建ての古いマンションの2DKで、奥さんと娘さんとの3人の暮らしです。私が詳しいのは絵を習う時はご自宅を訪問するからです。見るからに倹しい暮らしぶりです。あれだけの立派な水墨画を書かれる割に質素過ぎる気がします。
中国人は誰もがお金儲けに猛ダッシュしているかと思いきや、こんなに純粋に芸術を探求される中国人がいるかと思うと何かホッとする気がします。それでも時々彼が珍しく愚痴って曰く“大学の中の同僚には碌な絵も描けないくせに、お金儲けや出世に余念のない人がいる”とのことでした。良くない事ではありますが、私にはそのほうが中国らしい気がします。
もう一つこの画伯のエピソードを。2010年の上海万博の時、彼は日中友好の活動をされました。万博の日本館前で10日間ぐらいブースを設け、通り行く来館客に粘土を拳で握ってもらいそこに日中友好のメッセージと署名をしてもらいました。これが何と2万人分も集まったそうです。大阪の彼の友人が日本人のものを事前に集め、その1万個の粘土拳と合わせました。彼の計画では両国合わせた3万個の粘土の拳を焼いてから、日本にも関係が深い上海の魯迅公園に拳の全部を合わせた日中友好のオブジェを作るものでした。
しかし当時は漁船衝突問題で日中友好活動には逆風が吹いていたため当局の許可が下りませんでした。誠に残念でした。この他日中友好プロジェクトとしてシルクロードの古美術品の調査隊に参加し、故平山郁夫画伯と共同で活動されていました。
日中関係はその時々の両国の政治情勢・関係によって大きく浮き沈みを繰り返しますが、こうして両国の友好関係を推し進めようとする良識ある中国人が多くいらっしゃるということも我々にとっては心強い限りです。日中関係の好転期を睨んでこの拳プロジェクトを何とか実現するのが私の夢でもあります。
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写真3.魯迅公園で麻雀を楽しむ人々 |
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写真4.王先生に指導された小生の愚作 |