12.日本二百名山中最難関の山 H29.7.16~17 カムイエクウチカウシ山
私は日本二百名山の中で最も難関の山がカムイエクウチカウシ山(標高1980m)であると思っている。アイヌ語がそのまま山名になっていて「熊がころげ落ちることがよくあるほどの急峻な山」の意である。私が最も難関と思う理由は
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ルートの中に標識が少なく迷い易い |
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川を渡渉する時、標識が少なく迷い易い |
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行程が長く日帰りは難しく、途中に山小屋がないのでテント持参になる |
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テント場から山頂までに川の渡渉や雪渓があり、往復8時間30分かかるのでテント泊が2日になる |
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途中ヒグマ出没地帯を通過する
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の概要を下記する。
1970年(昭和45年)7月日高山脈を縦走中だった福岡大学ワンダーフォーゲル同好会(当時)のパーティ5人が九ノ沢カールでヒグマに遭遇し、後に追跡、襲われ5人中3人の男子大学生が死亡する事件が起こった。結局2人は無事下山し、討伐隊が問題の熊を射殺した。北海道の山岳史上最も悲惨な事件の一つとされる。 |
などである。従って高いガイド料(5万8千円)を払ってでもガイド同伴の登山者が多い山である。
平成29年7月16日、幌尻ゲートから七ノ沢登山口まで6.5kmを1時間45分で歩き札内川を渡渉しながら八ノ沢まで歩いた。最初はガイド2人、登山者8人計10人のパーティの後に付いて歩いたが、1時間程してツアーのリーダーから同行はできないと断られ、埼玉から来た人と二人で登ることにした。しかし、直ぐに道に迷い標準タイム2時間10分のところを4時間30分要した。夜になって雨が降り出しテント内に沁み込んできた。
平成29年7月17日、いよいよ山頂アタックの日。標準タイム往復8時間30分である。ツアーの一行から30分遅れてキャンプ場を出発した。途中雪渓が2カ所あり、雪が溶けて大きな雪洞ができている。雪洞の踏み抜きを恐れ迂回ルートを探したがなかった。雪渓の先にツアーがデポした沢靴が見えたので、彼らは雪洞の上を渡ったことを確認した。福岡大学生の遭難碑のある八ノ沢カールを過ぎ、ハイマツ帯の稜線で下山して来るツアー一行と会った。標準タイムから2時間遅れで山頂に着いた。遠くで雷が騒ぎだしたので急いで下山したが、雨となった。雷雨の中の尾根歩きは生きた心地がしない。熊がころげるように下山しテントに入ったら、天地がひっくり返るような激しい雷雨になった。ついていた。
やはり散々道に迷い往復12時間30分かかった。
河原の大石に、北アルプスのようにペンキで○印を書いたり、川原への出入りにはピンクテープを下げたりすれば道迷いは大きく減少すると思われる。また、地形図アプリを入れたスマホやハンディGPSがあれば大きな効果が期待できると思う。
13.近道は危険がいっぱい H29.7.24 北海道 天塩岳 1558m
天塩岳登山口キャンプ場から50分程登ると旧道分岐の標識が出てきた。前天塩岳を経由して天塩岳へは4.2km、旧道は前天塩岳を経由しないので3.1kmである。1.1kmも短い。旧道を行くことにした。一旦天塩川の支流まで下り、川岸を登って行った。水量は多く、流れも速いので滑落しないように慎重にトラバース気味に登っていった。登山道にはピンクテープがあるが、あまり利用されてないようで背の高い草が茂り、かき分けながら進んだ。
トラバース道は幅が狭く草でよく見えない。もし滑ったら川まで落ちる。岩も濡れていて苔蒸している。約30分進んだ所で行く手に大きな雪渓が現れた。ここを登るのは非常に危険だと思い旧道分岐まで退却した。往復1時間のロスをしてしまった。地形図を見るとショートカット的に天塩岳に向かっているが、大変危険な登山道であった。
急がば廻れである。
安全の視角 近道・省略は危険がいっぱい を引用できればラクをしたい。人はみんな近道・省略が好きです。ちょっとでも少ない手間、短い時間で仕事を済ませることができると、なんだか得した気分になりますね。そんな手間ヒマの“節約精神”は便利な道具や機械を生み出す原動力となってきました。しかし、ルールや手順が決まった作業の近道・省略行動は、一歩間違えると災害事故につながります。危険やミスを回避する安全な作業手順は、大抵ステップが細かかったり複雑だったりして、面倒くさいし時間も掛かります。特に毎日繰り返している作業の場合、「このやり方のほうがラクで早いから」と手抜きを“プロの技”と勘違いしがちです。その油断こそ、危険の落とし穴。昨日まで起きなかったからといって、これからも起こらないとは限りません。急いでいる時も要注意です。「危ないかな」と思いながらも「間に合わないと仲間に迷惑を掛けるし…」というプレッシャーからルール違反を犯してしまうことが少なくありません。もう一つは、ミスをしたとき。失敗を挽回しようとアセっていつものステップをつい飛ばしがちになります。慌てているときこそ「安全第一」!手順通りにきちんと仕事をするように心掛けましょう。
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H28.5.28 |
14.5回挑戦した山 H28.6.7、H28.6.8、H286.22、H28.9.14、H29.7.29 鋸岳
鋸岳は山容が鋸の歯のように見えることからこのように呼ばれ、南アルプスの最北端にある標高2685mの山である。登山コースは3つあり、いづれも往復13時間を超える難関の山である。
平成28年6月7日、私は仙流荘駐車場から戸台川をさかのぼり、角兵衛沢から急坂を登るコースを選んだ。河原を20分くらい歩いたら雨が落ちてきたので退却した。戸台川は広い川幅でかなりの大雨でない限り河川敷まで水が来るとは考えにくいが、登山中止した。
平成28年6月8日、再び同じルートを歩いた。角兵衛沢のコルに向かってガレ場の急坂を登るが、コルの直下付近で濃霧となり退却した。ガレ場には標識やピンクテープが全くなくこれ以上登山を続けることは危険と判断した。戸台川の渡渉中に足を滑らせ、体が川に入りデジカメが使えなくなり、購入した。
平成28年6月22日、この時期は梅雨で天気が悪いと思い別の山を7山登って再挑戦するために戻ってきた。しかし、やはり角兵衛沢のコル付近で濃霧となった。10分待ったが、晴れなかったので退却した。
平成28年9月14日、4回目の挑戦をしたが、天気が悪くあっさり退却を決めた。
伊那市のガイドに電話して来年9月にガイドをしてもらうことを依頼した。
平成29年7月29日、昨年ガイドに依頼していたが、釜無川の方から13時間歩けば濃霧でも歩けるのではないだろうかと期待して、戸台川を諦め釜無川をさかのぼるルートに変更した。もし失敗すればそのときガイドに依頼すればいいのではと考えていた。
ゲートから8km歩くと悪沢出合登山口となりそこから6個のダムの側道を越えて行った。角兵衛沢のコルからガレ場を見ると濃霧になっていた。三角点ピークからは急峻な峰を数回越えると山頂だった。往復13時間かかったが、執念の登山だった。ガイド料3万円が節約できた。やはりガイドに頼むよりはリスクはあるが、自分一人で考えながら登山した方が楽しいし充実感がある。
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H29.8.27 南アルプス 茶臼岳 |
あとがき
学生時代から九州の山には登っていた。そしていつかは北アルプスに登ってみたいという夢があった。しかし、三井化学に入社後はテニスに熱中し、登山のことは全く頭になかった。62歳になって膝を痛め登山はもうできないなあと完全に諦めていた。
福井県で2年4ケ月単身赴任していた時、福井県のある山岳会に入会した。皆と一緒にいくつかの山に登っているうちに少しずつ歩けるようになった。
65歳で大牟田に帰ってきて九州百名山や九州脊梁50山など登っていると膝の痛みがなくなっていた。そして学生時代の夢であった北アルプスに登ってみたいという気持ちがむくむくと蘇ってきた。
その時、既に日本百名山を17山登っていた。あと83山であった。平成25年7月から日本百名山に挑戦するようになった。平成25年は8週間で32山を、平成26年は12週間で51山を登り百名山を達成した。100山目は北アルプスの剱岳であった。69歳だった。
続いて二百名山・三百名山にも登ってみたいという欲が出てきた。九州の二百名山を7山、三百名山を8山は既に登っていたので残りは185山であった。平成27年は13週間で62山、平成28年は10週間で40山、3週間で11山、4週間で16山と3回に分けて登った。平成29年も6週間で32山、4週間で9山、5週間で14山と3回に分けて登った。
平成29年10月16日現在、二百名山・三百名山を通算199山登った。あと1山猿ケ馬場山だけである。
平成25年から29年までの5年間の登山中、色々な失敗をした。また、同時に幾多の貴重な経験もした。金も使った。このようなことを許してくれた家族の協力に感謝したい。
平成29年10月16日
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H28.7.29 北アルプス ジャンダルム |