8.あわや宙吊り H28.5.26 大無間山 2329m
田代温泉より登山を始めピーク3、2、1と登りいよいよ北側崩壊地へ来た。昭文社の
「日本200名山を登る(下巻)」によると通行不能となっているためピーク1まで来たら引き返すと書いてある。しかし、インターネットを見ると崩壊地を登った記録があり興味がある。思い切って挑戦することにした。
幅30cmくらいの両側が切れ落ちたやや水平部分が5~6mあり、そこからロープに掴まり約15m腕力を使って上がった。最初はトラロープ1本であるが、次第に2本、3本と多くなる。1本目のロープの先端が細くなっており、本当に大丈夫か不安だった。2本、3本と掴める所まで来て安心した。
小無間山、中無間山、大無間山と登り、再びこの崩壊地へ戻ってきてこの難所を越えなければならない。登りと違う点は幅30cmくらいのやや水平部分にうまく着地できるかである。少し左右にずれると着地できなくなる。宙ぶらりんになる。ロープから手を離せば谷へ落ちる。大変危険な所である。
なんとか着地してロープの先を石で動かないように固定して、やや水平部分を渡ろうとしたらヒビ割れている所があった。そこを避けて崩壊させないようにゆっくり渡った。
翌日、井川のビジターセンターへ行き、大無間山の崩壊地は大変危険であるので、入山禁止にすべきと申し入れた。既に入山注意の標識は立っているが、禁止にはなっていない。今は余計なことをしたかなと後悔している。
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H26.9.17 剱岳 カニのたてばい |
9.3回挑戦するも未登頂の山 H28.6.15、H29.5.2、H29.7.8 猿ケ馬場山
この山も残雪期に登る山で夏は登山道が藪に覆われ、登山困難な山である。
平成28年6月15日、初回は残雪はなく藪をかき分けて登ったが、帰雲山のだいぶ手前から退却した。
平成29年5月2日、2回目は川崎の人と残雪期に登ったが、ピンクテープが雪に埋まりルートが分からず退却した。
平成29年7月8日、3回目は初回と同じく残雪がなく、初回よりも前進するつもりで迷い防止にテープを持参して登った。しかし背丈よりも高い藪に遮られ退却した。
過去3回挑戦していずれも未登頂になっているが、来年平成30年残雪期に川崎の人と再挑戦を約束している。
平成29年10月現在、299山に登頂した。日本百名山・二百名山・三百名山の中でこの山だけが未登頂になっている。
初回登山後、世界遺産白川郷の中にある温泉に入った。途中退却したので早く下山して正午頃に入った。中国人の小さい男の子と女の子がちょうど風呂からあがったところで服を着た母親が身体を拭いていた。他に人はいなかった。中国人だから男湯も女湯もわからないで男湯に入ったのだろうと思っていた。身体を洗っていると若い女性が入って来て私の二つ隣の所で洗い始めた。しばらくすると更に二人入って来た。二つ隣の女性に、「ここは女湯ですか」と尋ねたら、「はい」と言う。慌てて脱衣場へ行ったら5~6人のおばさんが裸になろうとしていた。私の下半身に視線を感じながら大急ぎで男湯へ移った。間違っていたのは中国人の母親ではなく私の方だった。
弘法も筆の誤りとは言わないか。痴呆のはしりかな。
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H26.7.8 穂高連峰 |
10.飲料水不足でバテる H29.5.4 景鶴山 2004m
この山は環境保護のため入山禁止になっており、残雪期のみ登山が許可されている。
尾瀬ヶ原の鳩待峠を4時20分に出発した。尾瀬ヶ原は一面雪景色でスプーンカット状になっている。山ノ鼻には春スキーやスノーボードを楽しむ人達が大勢テントを張り、歩行者天国のように混雑していた。
今日、泊まる予定の竜宮小屋まで来た時、地元沼田市から来た人と長野から来た人に相談して一緒に登ってもらうことにした。東電小屋で小休止した後、篠山、与作岳を経由して景鶴山に登った。
コルから山頂までは狭い稜線になっており滑落したら大けがは免れないだろう。
大きな雪屁があり人が歩いた足跡を忠実に辿る。私はこのような稜線歩きの経験がなくビビった。離合場所は2ケ所しかない。登る人が多く8人パーティが2グループいた。
復路は東電小屋を経由しないでヨッピ橋の方へショートカットした。ヨッピ橋は、長さ約15m、巾約2mの橋で冬期は渡り用の木の板が全部外してある。真中の狭いアングルに乗り、両手を伸ばしてワイヤーの手摺りを掴んで渡る。インターネットで見ていたので要領はわかった。
しばらく行くとまた橋が現れた。この橋も長さ約15m、巾約2mであるが、真中にアングルがない。しかも手摺りもない。幅約20cmの鉄骨が両側にあり、勿論板は全部外してある。鉄骨の上をアイゼンを履いた登山靴で少しずつすり足で進む。アイゼンの爪が鉄骨からずれればバランスをくずして高さ5mの川に落ちるかもしれない。アイゼンを付けた登山靴では泳げないので溺死でしょう。この橋はインターネットに載ってなくてこの時程怖い思いをしたことはなかった。
悪いことは重なるもので飲料水がなくなり、パンを食べようとしても水がないと喉を通らない。空腹で力がでない。ペットボトルに雪を入れて溶かそうとしたが、なかなか溶けない。二人には付いてゆけないので先に行ってもらった。足をひきずりやっと山ノ尾に着いたが、自動販売機を探す元気はなかった。鳩待峠までは上りが続く。脚も痙攣してきた。喉の渇きと空腹と脚の痙攣の三重苦と闘いながら鳩待峠にたどり着いた。5年間の登山で始めてソフトクリームを食べた。
山では水はどれくらい必要 鹿屋体育大学 山本正嘉教授の研究を引用
登山中に必要な水分量 = 自重(体重 + ザック)× 5 × 行動時間
今回の景鶴山のケースでは
登山中に必要な水分量 = (60 + 10) × 5 × 10.5 = 3.6L
となるが、3Lは必要と思った。竜宮小屋に泊まるつもりで1Lしか持って行かなかった。
11.下山時道に迷う H29.5.6 男鹿岳 1777m
男鹿岳も残雪期に登山する山であるが、その知識のないまま登山した。
釜沢橋ゲートに駐車し林道を男鹿峠(大川峠)まで歩いた。峠付近になると残雪があった。
峠より右方向の急坂を登る。笹藪と雪の混じった登山道を登る。栗石山付近は完全な雪道となりピンクテープを見落とさないように登った。無事男鹿岳に登頂し、栗石山を下山時に道に迷った。
雪道をいい気分でどんどん下っていたら谷川の音が聞こえてきた。登って来た足跡も消え、下り過ぎたことに気がついた。さてどちらへ行けばよいか。笹藪と雪のある急坂を上下左右に歩いてみたが、足跡もピンクテープもみつからない。谷川まで降りてしまうと行き止まりになることを恐れ、ただの勘で谷川に向いて左上方へ登り始めた。しばらく行くと男鹿峠と思われる峠から廃林道が山腹を走っているのが見えた。その峠まで行くにはもっと左上方へ移動する必要があった。
急勾配の雪に一歩一歩アイゼンでステップを作り上を目指した。約100m移動して大きな木を見たらピンクテープが巻きつけてあるのが見えた。助かったと思った。
日本二百・三百名山で残雪期に登る山は男鹿岳、野伏岳、景鶴岳、猿ケ馬場山、笈ケ岳があるが、問題なく登れたのは笈ケ岳(おいづるがだけ)のみである。あとの4山は大きな失敗をしている。私は地形図アプリをいれたスマホやハンディGPSを持っていないが、もしそれら文明の利器を持っていたら道迷いは防げたのではないかと思っている。
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H27.7.28 北海道 襟裳岬 |