【章立て】
第3回 「五話 目付に異動」
■五話 目付に異動
寛政六年(1795年)七月廿五日、蝉の声で十郎右衛門は、目を覚ました。
(今日も暑くなりそうだな)と床を出て、書院に行き、縁に腰を下ろして庭を眺めた。十郎右衛門、四十七歳の夏であった。
「旦那様、城からの使いが来ました」と女中が、障子戸越しに言った。
「客間にお通しするように」
慌てて、十郎右衛門は部屋に戻って着替えて、客間に出た。
「何用でござるか」
十郎右衛門は使いの者に、尋ねた。
「坂部様、明日の朝、登城するようとの堀田様からのご命令です」
(若年寄の堀田様からいったい何の用だ)
「あい分かった」
そう言って、十郎右衛門は、部屋に戻り、富子に言った。
「明日の朝、五つ刻に登城する」
「今度も、良いお話だといいですね」
富子が、十郎右衛門の飯を椀によそりながら言った。
「どうかな」
十郎右衛門は、気のない返事をした。
昨日の雪は多少積もっていたが、陽に照らされ溶け始めていた。
「では,行って参る」
「お気をつけて」
富子は十郎右衛門を見送った。
若年寄の堀田政敦が、目付頭の小山田新之助を伴って入ってきた。一同、頭を下げた。
「実は、松平様が老中を退職されることになった。それで、今後は殿様が実務を司る。まずは、人事を刷新することになった」
皆がどよめきの声を上げた。
(なぜ、松平様ご辞職されるたんだ。これからどうなるのだろう)
十郎右衛門は不安になった。
「静かに。これから読み上げる者は、明日から目付の役を務めてもらう。よいな」
一瞬ざわついた。 そして、堀田は、三番目に十郎右衛門の名を読み上げた。
(心機一転だ。これからは、堂々と旗本や御家人や上司たち何の遠慮もいらずに、注意ができるぞ)十郎右衛門の正義感が頭を持ち上げてきた。今まで妻や義理の父に小言を言われていたことを、すっかり忘れていた。
目付は、旗本、御家人の監察及び政務一切の監察、非常時の差配、殿中礼法の指揮にあたる役目である。定員は、十名で、十人目付と呼ばれていた。
十郎右衛門は、この昇進で、家禄に役料が千石となった。 仕事は、旗本や御家人の監察であった。
暮れ六ツ、屋敷に帰った。
「あなた、どんなお話でした」
富子は、十郎右衛門の羽織を脱がしながら言った。
「目付役を拝した」
「それは良かったですね」
「これからだ」
「あなた、あまり張り切らないようにしてください」
富子は風呂にするか夕餉にするか聞いた。
「風呂にしよう。やよいは寝たか」
「もう寝ましたわ」
四半刻で風呂から上がり、居間に用意された箱膳の前に座った。
富子がちろりを運んできて、おめでとうございますと言って、十郎右衛門がかざした盃に酒を注いだ。
十郎右衛門は盃を空け、富子に渡して、「お前も飲め」と酒をついだ。
「あとは、やよいが婿がくれればもう心配事はないんだが」
「やよいによい話が本所の叔父様から来ているんですよ」
富子は、詳しく十郎右衛門に相手の素性を話した。
「話を進めてくれ」
「やよいも乗り気になってくれていますから、きっとうまくいきますわ」
十郎右衛門は、目付役と言う自分に合った役職に就けたことに興奮して、寝付かれず何度も寝返りを打った。
「あなた、寝むれないのですか」
「ああ、心配するな」
つかの間の眠りから、六ツ(朝六時)の捨て鐘で十郎衛門は目を覚ました。もう既に富子は、朝餉の支度を終えていた。十郎右衛門は、井戸で顔を洗い、飯を食べ、富子の見送りで六ツ半(七時)に屋敷を出た。
茶坊主に導かれ、本丸表向の紅葉之間を過ぎ、目付部屋に入った。五ツ(八時)ちょっと前であった。
「おはようございます」と挨拶をして、自分の机の前に腰を下ろした。もう既に仕事を始めていた道場仲間の菅沼新三郎が坂部のところに来て小声で話しかけた。
「坂部、松平様の辞任の理由を知っているか」
「いや知らん、お前は知っているのか」
「皆いろいろ言っているようだが、辞任の理由は尊号一件が原因のようだ。天皇様が、お父上の閑院宮典仁親王様に太上天皇の尊号を贈ろうとしたらしいのだが、松平様が反対した。それが、閑院宮典仁親王様に太上天皇の尊号に合わせて、お殿様(家斉)がお父の治済様に大御所の尊号を贈ろうと考えていたので、ご立腹して松平様の首を切ったとの噂だ」
「また物の値段が上がってきたし、松平様も嫌気がさしてきてやめる気になったのかもしれぬ」頷きながら十郎右衛門が言った時、
「坂部」目付頭の小山田新之助が十郎右衛門を手招きした。
「何でしょうか」
「坂部、今日からお前の仕事は、町奉行所の諸役人の監察だ。まずは、お前も知っている勘定役の同心、田村徳次郎の素行調査だ。奴は、どうも幕府の金を横領している気配がある。その真意を確かめてくれ。越部、山室と中井を付ける。頼むぞ」
(なに、田村の奴が、信じられん)
承知いたしましたと言って、十郎右衛門は、席に戻り、荒木から渡された調査書類を読んだ。
昼飯時を知らせる太鼓が鳴った。
(もう少しだ、すべて読んでから飯にしよう)と書類をめくった。
十郎右衛門は弁当を持って席を立った。
食事場所に行くと既に皆は、食べ終わって談笑していた。「坂部」菅沼がこっちへ来いと手招きしているのに気付き、十郎右衛門は、菅沼の隣に座って富子の作った弁当箱を開けた。坊主が、茶を運んできた。
「坂部、知っているか。松平様引退後も松平信明や牧野忠精をはじめとする御老中たちはそのまま留任し、その政策を引き継ぐそうだ」
「それはよかった。松平様の改革における政治理念は今後も堅持されることとなったということか」
「それより、坂部、初仕事はなんだ?」
「北町奉行所の同心、田村徳次郎の素行調査だ。ところで、お前は今何やってんだ」
「南町奉行所の与力、立山新之助の調査だ」
「なに、立山だと」
「声がでかい」
「あいつは南町が長すぎた」
「立山が一体何の疑いで」
「どうもよからぬ組織とつながっているという噂があってな」
「そうか・・・。あいつは腕が立つとの噂だから、気をつけろよ」
「田村徳次郎も北町奉行所では一番腕が立つようだ、おぬしも気を付けてな」
昼食の半刻が過ぎ皆、それぞれの席に戻った。そして、十郎右衛門は、書類を持って、二階の目付方御用所に入った。
御徒目付の越部の所に行き、書類を越部に渡してから、田村徳次郎について調査を行うよう命じた。そして、小人目付の山室を手下に使うように言った。
「悪どいだけでなく、剣も一刀流の使い手のようだ。気を付けて探ってくれ」
「坂部様、山室を連れてきますので、しばらくお待ちください」
すぐに、越部は山室と中井を連れてきた。
「山室鉄心と申します」
「中井虎太郎と申します」
「坂部だ。山室、中井、お前のこれからの仕事は、北町奉行所の同心、田村徳次郎の素行調査だ。田村は一刀流の使い手だから気をつけろ。それがしや、越部の言うことを聞いて仕事を進めてくれ」
「承知いたしました」
越部たちは席を立った。越部は示現流、山室は無外流そして中井は、神道無念流の道場に通っていると聞いていたが、浅場道場に通って二天一流の師範代を勤めている十郎右衛門は、三人の立ち姿でたいした力量ではないと見て、心配になった。
とはいっても、浅場道場は天下の千葉道場に比べ弱小の道場での中で菅沼新三郎、立山新之助そして、十郎右衛門は浅場道場の三羽烏とも言われていた。
井の中の蛙だと、十郎右衛門は卑下していた。
数日後、十郎右衛門は、越部からの報告を聞いていった。
「証拠は、あるのか」
「田村様にその金がいっているかは、まだ確証はつかめていません」
「そうか、田村の素行を明日から徹底的に調査する、よいな」
翌日、十郎右衛門は一番に越部を呼んだ。
「越部、今日は某も田村を尾行してみる。付きあえ」
「はい。では奉行所が引ける前に待ち伏せしましょう」
「わかった」
十郎右衛門と越部が四半刻ほど蕎麦屋の屋台で待っていると、田村が、笑いを浮かべながら門から出てきた。
「坂部様、田村様が出てきました」
「越部、先に行け」
「はっ」
十郎右衛門は、越部より十間遅れてついて行った。
(やはり吉原か)
大門を田村がくぐった時、捨て鐘が打たれた。
(七ツか)十郎右衛門はつぶやいた。
越部と打ち合わせした大門からわずか一町離れた旅籠‘伊勢屋’に入り、女将に奉行所のものだと言って十手を見せた。
女将は、十郎右衛門を二階の街路の見える部屋に案内してから言った。
「何か御用がありましたら、お呼びください」
半刻(六十分)を過ぎたころ、越部が部屋に入ってきた。
「坂部様。田村様は、吉野家という店に入りました」
「そうか、奴が出てくるまで待ってみるか」
「もう坂部様は、お帰りください。私が見張っています」
「それはいかん、おまえ一人では心もとない」
「では、山室を申し訳ありませんが呼んでください」
「わかった。田村は、一刀流の使い手だ。決して無理はするな」
十郎右衛門は、店を出た。七ツ半の最後の鐘がひびきわたった。
越部は、八ツの鐘で目を覚ました。
(まずい、うたた寝をしてしまった)越部は、すぐに外を覗いた
しばらくして、大門から田村が出てきた。
(まさか、こんなに早く)
越部は、反射的に部屋を出、階段を下りた。
「女将、後から山室というものが来る。来たら、某は、すでにでたと伝えてくれ」
「はい」
女は、驚き戸惑った様子で返事をした。
外は満月の明かりで明るかったので、越部は提灯を持たずに田村の後を追った。
細い路地に入ったのを見て、間をおいて入ったと同時に田村が不敵な笑みを浮かべて立ちふさがった。
「いい度胸だ」
「田村様・・」
身に危険を感じた越部は、刀を抜き田村へ打ち込んだ。田村はそれを一歩下がってかわし、踏み込んで居合の一太刀を越部に浴びさせた。一撃必殺の初太刀にすべてをかける示現流を難なくかわされては、越部はなすすべもなく、
「ギャー」絶叫して倒れこんだ。
十郎右衛門が奉行所に出勤すると、山室が緊張した顔つきで声をかけてきた。
「坂部様、昨日越部様にお会いすることができませんでした」
山室は女将にいろいろ聞いて、伊勢屋周辺を今まで越部を捜したが見つからなかったといった。
「そうか、分かった」
十郎右衛門は立ち上がり、長刀を差した。
「どちらへ」
「伊勢屋へ行く」
「私もお供します」
十郎右衛門に続いて、山室が奉行所を出た。
「女将はいるか」
山室が、伊勢屋の戸を引いて怒鳴った。
「これは、これは、山室様に坂部様。どうぞ、お上りください」
「ここでよい、山室から聞いたと思うが、もう一度越部のことを聞かせてはくれぬか」
女将は山室に話したことをもう一度、十郎右衛門に話した。
「ほかに何でもいいんだ。思い出してくれ」
「そういえば、誰かを追いかけるようにして、店を出て左の方へ行ったような気がします」
「そうか、忝い。山室、行くぞ」
四半刻(三十分)ほど歩くと二人の目に人盛りが目に入った。
「坂部様」
十郎右衛門が頷くと、山室が人盛りの中に吸い込まれて行った。
しばらくすると、山室が真っ青な顔をして、十郎右衛門の所に戻ってきた。
「越部様です」
十郎右衛門は、人盛りを分け入った。
「越部」
そばにいた町役人が、驚いて十郎右衛門を見た。
「坂部様」
「ちょっと越部を見させてくれ」
越部の体を入念に見た。
「相手は一刀流の使い手だな」
「はい」山室と町役人が同時に応えた。
「運んで行け」
「運んで行け」
「山室、間違いないな」
「はい」
「どうやって田村を捕らえるか」
十郎右衛門は呟いた。
翌日、十郎右衛門は登城するや否や山室と中井を呼んだ。
「昨日、頭に呼ばれた。越部の件、若年寄様が怒り心頭とのことだ。いち早く解決するよう命じられた」
「承知いたしました」
「ちょっと待て」十郎右衛門は懐から巾着を出し、二人にそれぞれ一分銀を渡した。
「これで目明しを何人も使って奴のしっぽをつかめ。よいな」
二人は頭を下げ、部屋を出て行った。
(おれも気をつけんと)と十郎右衛門は呟いた。
「おかえりなさいませ」
富子が玄関で迎えた。
「道場着に着替える」
庭に出て、抜刀した、
「えいっ」気合をこめて、
何度も二天一流の型を繰り返した。
毎日、山室から田村の情報が入ったが、肝心の証拠となる知らせはなかった。それに構わず、十日ほど、毎日稽古を続けていた。
十一日目、田村のしっぽをつかんだと山室が息を切らせて、部屋に報告に来た。
「田村様は、大店の山代屋をおどしているようです」
「なにをおどしているのだ」
「山代屋が、密貿易をやっているらしいのです」
「密貿易はご法度違反だ。分かった、もう少し探ってくれ。十分気を付けてな」
数日後、十郎右衛門が執務に着くとすぐに目付頭の小山田から呼ばれた。
「坂部、田村の件だが、もう調査は終わりにする」
「なぜですか」
「理由は、上からの命令だ」
「そんな、納得できません。小山田様、越部はあやつに殺されたのです。間違いありません」
「田村が殺した証はないのだ」
「一刀流の使い手が下手人です。田村はその使い手です」
「一刀流の使い手など、この江戸には何百人もおるわ。もう下がれ」
「では、越部を殺害した下手人の捜査はどうされるのですか」
「うるさい、お前の知ったことではない」
十郎右衛門は苦渋に満ちた顔で、自席に戻った。何とか気を落ち着かせてから、小坊主に山室と中井を呼ぶよう命じた。
二人が来ると、十郎右衛門は小山田の命を伝えていった。
「儂は、腑に落ちぬ」
「坂部様、小山田様のいうとおり、この一件は手を引いた方が良いです」
「なぜだ」
「小山田様よりかなり上からの命だと思います。いうことを聞かないとどんな目にあうかわかりません」
「それならば、その上が誰かを調べてみよう」
山室は、渋面を作った。
「お前たちは手を引くがよい。これからがるからな」
「坂部様、何を仰せられる。手を引くなどと」
「おまえはどうだ?」
十郎右衛門は中井に向かっていった。
「坂部様のお手伝いをさせていただきます」
と頭を下げて行った。
三日後。雲が重みで落ちてくるようなうっとおしい朝だった。山室は、職場に着くと小坊主に十郎右衛門に会いに行くことを伝えるようにいった。
「なにかあったのか、顔色が優れぬようじゃが」
「坂部様。昨日・・・」
「早く言わぬか」
「‘田村の一件、手をひかぬとお前の家族たちがどうなるか知らんぞ’と書かれた矢文が屋敷に打ち込まれました。」
「そうか。お前は手をひけ」
・・・・・・・・・・・・・
「では、坂部様。私の手下たちを使って下さい」
「わかった。これで用をたしてくれ」
十郎右衛門は、懐の巾着から一朱銀をだし、山室へ渡した。
「こんなに」
「よい、取っておけ」
小坊主にしたがって中井がやってきた。
「何か御用ですか」
「山室をこの件から外した。ただ山室の手下が協力してくれるので、そちはその手下の指揮を執ってくれ」
中井は山室と違いまだ独り身で、自分の心配だけしていればよいという気楽な生活を送っていた。
昼飯を食べ終わるともう仕事を始めている菅沼新三郎の席に行き、小声で今日帰りに一杯行かないかと誘った。
菅沼は、驚いたが理由も聞かずにすぐ頷いた。
十郎右衛門が、酒を飲みに誘うのは一年に一回あるかないかの珍しいことであった。
そして、十郎右衛門は自席に戻り簡単なふみを書き若党の待合所に行き、北町奉行所勤務の立山新之助の屋敷に行って渡すよう命じて、席に戻った。
菅沼、立山そして、十郎右衛門の三人がひさごの中の角部屋に会していた。
「坂部、何かあったのか?」
菅沼が、酒を頼む前にいった。
「ろくに酒が飲めないおまえが、我々を誘うのは何か理由があるんだろう」
立山がいった。
「実はおぬしたちに聞いてもらいたいことがある」
十郎右衛門が、二人の顔を交互に見ていった。
やはりと納得した顔で二人は頷いた。
「分かった。酒を飲みながらでもよいか」
菅沼が十郎右衛門に断りを入れた。
十郎右衛門が頷くと、菅沼は、手を打ち店の女を呼んで酒と酒の肴をすぐに持ってくるようにいった。
もうすでに用意されていたため、すぐに三人の前に味噌田楽、湯豆腐、旬の鯵の煮物そして香の物が載った膳とちろりが置かれた。
「この店は、安くてうまい」
立山が、豆腐を口に入れてからいった。
菅沼は、手酌で酒をあおった。
「坂部、そろそろ話を聞こうか」
立山が、箸をおいていった。
菅沼も盃をおいて、十郎右衛門を見た。
十郎右衛門は、田村の件について一連の出来事そして、上司の小山田による探索の中止の命まで一気に話した。そして、付け加えた。
「田村の件、小山田様より上の人間による命令だと思うのだが、そなたらはどう思うか?」
「田村のことは、今回始まったことではない。小山田様が来る以前にも、探索が行われたことがあったが、探索を命じられた者が失踪し一時は、役所は騒然となった。しかし、いつの間にか田村の調査は取りやめになったと噂には聞いている。それに関する調査書は一切残されていないようだ」
菅沼がさらにいった。
「そもそも小山田様はそれを知らずに、坂部に田村の件を命じたのではないか。しかし、それを止めるようにとの上からの命がでて、やむを得ずそれに従わざるを得なかったんだろう」
話し終わった菅沼は、盃に酒を注いで一気に飲み干した。
一言も逃すまいと身動きせずにいた十郎右衛門が、口を開いた。
「小山田様にとって、意に反したことを某に命じたのか」
「たぶんそうだろう。坂部、これからおまえどうするんだ」
立山が心配そうにいった。
「もう少し調べてみる」
十郎右衛門が小声でいった。
「小山田様に内緒でか」
「当たり前だ」
「坂部。そんなことしたら、お前だけでなく、お前の家族にも危害が及ぶぞ。やめておけ」
菅沼がいった。
「それは覚悟の上だ」
「おまえは頑固だからな。分かった、おれも陰ながら協力する」
立山が膝を前に出していった。
「それじゃ、某も手伝わないわけにはいかんな」
菅沼も同意した。そして、三人は得た情報を知らしめるため、時々ひさごで落ち合うことを決めた。
「よし、そうと決まったら、飲み直そう」
菅沼がいって、女を呼んで酒を頼んだ。
「俺はすしを頼む」
十郎右衛門がいった。
「けちけちせず、三人前だ」
立山が割って入った。
「ところで、おれたちの中で、一番腕が立つのは誰だろうか」
立山が、十郎右衛門と菅沼の顔を見ていった。
「それは菅沼だろう」
十郎右衛門がいった。
「いや、立山だ。道場では師範最年少の記録をもっている」
菅沼が赤い顔で、いまきたちろりを持ち、盃に酒を注ぎながらいった。
その後、三人は、秘密裡に調べ始めた。立山は岡引きを使い田村を見張らせ、菅沼は、蔵から過去の抜け荷に関する書類を持ち出し、屋敷で遅くまで読み続けた。
十郎右衛門は、中井に山代屋の内情を調べるよう命じていた。
田村の件はいっこうに進展せずに一か月が過ぎた。目付部屋に入るとすぐに、十郎右衛門は小山田から呼び出された。
「坂部、北町奉行所の立山新之助の身辺を洗ってくれ。どうも田村の件を嗅ぎまわっているらしい。誰の命で動いているのか探ってくれ」
「・・・・立山をですか」
「そうか、坂部は立山とは浅場道場同門であったな。ほかの人間に頼んだ方が良いようだな」
「・・・・・・」
「分かった。他の者にする」
十郎右衛門は、立山の件について、山室に話した。
「そうですか、立山様が何を調べているのかを知りたいわけですね」
「どうしたもんだろうか」
「これも小山田様の本意ではありませんね」
「立山にこの件から手を引いてもらうよう言ってみよう」
十日後、ひさごに十郎右衛門、菅沼そして、立山が集まった。
「坂部、田村は抜け荷に関与しているようだ。田村だけでなく、上にもいるらしい」
立山が声を落としていった。
「上は、だれだ」
菅沼が声を荒げた。
「声がでかい。まだ誰かわからん」
しばらくの沈黙を破って、十郎右衛門が立山に向かっていった。
「おまえを調べろという命が、下った。それがしは断ったが、誰かがお前をこれから調べるだろう」
「なんだって」
今度は、立山が大声を出した。
「なぜわかったんだ」
菅沼が不思議そうにいった。
「わからん」
十郎右衛門は、立って障子戸を三寸ほど開けて外を覗いた。
「坂部、目付部屋に諜報する輩がいるかもしれん」
菅沼が声を落としていった。
「そうかもしれん。また、徒目付、小人目付や中間目付にも気を付けた方が良いな」
三人は四半刻話をして、酒を飲み始めた。
菅沼と立山は、ひっきりなしに手酌で盃をあおっていた。
「二人ともいい加減にしないか。我々は狙われているんだ」
「分かった、そろそろ帰るとするか」
立山が、盃をおいていった。
「駕籠を頼んでもらうから、ちょっと待っていろ」
十郎右衛門は、出て行った。
「立山、坂部が言うように、これからはお互いに気をつけんといかんな」
「特に俺は気をつけんとな」
「待たしたな。もうすぐくるから」
「ここの勘定は、俺が払う」
菅沼が、懐から巾着を出そうとすると、
「もう払ってきた」
「坂部、いいのか。悪いな」
立山が軽く頭を下げた。
「見張られているかもしれないので、裏口に着けてもらうよう頼んできた。一人ずつ、出て行くようにしよう」
菅沼と立山が頷いた。
朝から小雨が降っていた。十郎右衛門は席に座った。いつもはすでに着座している菅沼が見当たらなかった。
(菅沼はいつも早いのに)不思議に思った。
昼食の時の太鼓が鳴った。菅沼はまだ来なかった。
(何かあったのか。何も連絡がないなんて)心配しながら、昼食を取っていると、小山田から至急の呼び出しだと御城坊主が来た。
すぐに小山田の部屋に行った。
「坂部、菅沼が昨晩殺られた。何か心当たりはないか」
十郎右衛門は、今までの一部始終について、小山田に話した。
小山田は、話を聞き終わると顔に苦渋の皺をつくって低い声でいった。
「坂部、お前も気をつけろ」
十郎右衛門は、席に戻って、書類に目をとうし始めた時、山室が待合所に来ていると御城坊主が知らせに来た。
十郎右衛門が待合所に入ると山室がすぐに飛んできた。
「坂部様、辰五郎が昨夜から戻ってきません」
「辰五郎は昨晩何をしていたのか」
「立山様の駕籠を追っていきました」
十郎右衛門は、菅沼が殺されたことを伝えるとともに、辰五郎の安否が心配になってきた。
そんな不安が頭を持ち上げた時、中井が御城坊主に連れられて入ってきた。
「どうした」
「坂部様、辰五郎の死体が立山様の屋敷近くで見つかりました」
「なに・・・。辰五郎の亡骸はどこだ」
「八丁堀です」
「わかった。ついて来い」
十郎右衛門は、中井と山村に声をかけて部屋を出た。中井と山室は追いかけた。
「おまえたちはここで待っていろ」
十郎右衛門は、小山田の部屋に入り、辰五郎が殺されたことを伝えて、部屋を出た。
「中井、山室、行くぞ」
十郎右衛門は、南町奉行所に向かった。
昼八つの捨て鐘が打たれ始めた時に、三人は奉行所の門をくぐった。
「おう、坂部。辰五郎がやられた」
「立山、やはり一刀流か」
立山は頷いた。
「坂部、お前も気をつけろよ」
「ああ、きっとあいつの悪を暴いてやる」
「そうだな、死んだ菅沼が浮かばれん」
半刻ほど検死をして、十郎右衛門は、奉行所を出た。
(いったい誰が我々の動向を探っているのだろうか。あまりにも筒抜け状態になっているようだ。探りを入れてみよう)
<五話完>
沢藤南湘(ペンネーム)