会社生活を振り返ってみると、入社してから、市原工場で石油化学プラントの設計、保全、建設とエンジニアーの道をずっと歩いてきました。合併後には、下関の工場で石油化学工場では経験したことのない特殊ガスプラントの建設と無機化学の領域であるリン酸プラントの保全管理も担当することが出来ました。そこでは、爆発と破裂という貴重な事故の経験をしました。
突然の事故ではあったものの、市原の石油化学工場での防災訓練などで体にしみついていた事故対応能力により手早い初期対応が出来ました。教育や訓練のありがたみをこの時ほど感じたことはありませんでした。
退職迄の、最後の10年間は幸いなことに化学プラントの運転員を育てる人材育成という仕事に携わることが出来ました。物づくりから、人づくりという経験を積むことが出来ました。茂原にある、「技術研修センター」を立ち上げるという仕事に従事することが出来たのです。ここで約6年間仕事を続ける中で感じたのは、人に技術を伝えるとはなんて難しいことなのだろうかと言うことです。特に、過去の失敗を次の世代に短い時間で、効果的に伝えることの難しさです。
この頃から思い始めたのは、自分の知っている安全に関する知識をなんとか、化学産業全体の中で使ってもらえないだろうかということでした。幸いなことに、倉敷のコンビナート地区にある人材育成組織で話をする機会を持つことが出来たのです。更に、退職後も、日本化学工業協会などで安全教材作りのチームに参加することが出来ました。石油化学工業協会でも、安全講演のチャンスなどもいただきました。
退職してからの1年間は少しずつではあるものの、活動の場を広げることができました。今回、自分の知っている安全知識などブログという形で広く伝えたいと思いホームページという形で発信してみました。
http://www.geocities.jp/handanha/ がホームページのURLです。